リリー インスリン50年賞

院内表彰サポートセット

リリー インスリン50年賞

インスリン治療を50年以上継続されている糖尿病と共に歩む人々の長年のご努力を称えることを目的に、2003年から表彰を開始し、2021年までに198名が受賞しています。通院のタイミングに合わせて各ご施設でお祝いをして頂けるように、表彰サポートセットをご用意しています。また、受賞者の皆さんにはご本人のお名前を刻印したトロフィーをお贈りしています。 

第19回(2021年) 受賞者のご紹介

※情報公開のご了承をいただいた受賞者を50音順でご紹介します。内容は個人としての見解です。

◆K.I 様

発症は1歳2ヶ月でしたので、何も覚えておりません。最初は風邪のような症状だったけれど、なかなか回復しなかったとか。病名を聞いた母はショックだったと思います。若いころは目立つことが大好きで、1型糖尿病のミスアメリカの存在を知り、私も同じように病気の人達の励みになりたいと芸能界へ。多少活躍しましたが、すぐに引退。それからは、企業の総合受付をメインに、フラダンスのインストラクター、ネイルのインストラクターなど、好きなことを仕事にしてきました。コロナ禍になってからは韓国ドラマに夢中になっていて、終息したら韓国に行きたい、そして韓国人のお友達も作りたいなと思っています。
現在のHbA1cも優等生な数値ではありませんが、私はとにかくプラス思考。
なんとかなるさ精神とインスリンのおかげで、50年間、とても幸せに暮らせています。

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◆一瀬 諒則 様

とても喉が乾いて水分摂取量が増え、夜中や仕事中など、昼夜を問わず頻尿になりました。造船の内装に携わっていましたが、作業に支障が出て困ることが増えました。発症したのは23歳の時です。そのころのインスリン治療は、ガラスの注射器と針を鍋で沸かした熱湯の中で消毒し、何度も使用するのが当たり前。治療当初から自分自身で注射も行いました。造船の仕事は転勤が多く、慣れない場所で仕事をして何度も低血糖になったので、飴玉を常に持ち歩いていました。仕事を引退した後も、やはり水辺の風景が落ち着くのか、趣味は魚釣り。釣った魚をおろして調理するのは、妻より上達したかもしれませんね。
自分に合ったインスリン治療はもちろん、食事の量やバランスを調整し、無理なくできる運動を見つけて、それらを長く継続することが大事だと思います。

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◆柿沼 みやと 様

同じ糖尿病で主人を亡くしていたので、自分が発症した時には「ついに私の番か」と思ったと同時に、二人の子どものために生き抜くことを決意。いつしかインスリンは日常の暮らしと馴染み、日本列島を漫遊して過ごした後半の人生と仲良く共存しているような感覚でした。患者の意見を聞いてくださる主治医の先生は、とても人間味があり信頼できるお方です。5年前からスポーツジムに通い、娘やコーチの補助のもとマシンを使ったトレーニングを継続しています。体力を維持し、コロナが完全に終息したらすぐインスリン片手に飛行機にとび乗って、家族と一緒に至福のホテル時間を過ごしたいと思っています。これから治療を始める人は、痛くても辛くても、やるべきことを怠らずにやり通してほしい。やった者はきっと救われます。勝者同士で祝杯をあげましょう。

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◆佐藤 莊助 様

18歳で診断された当初、不適切な処置によって一時は昏睡状態に。転院先で目覚めた時には体重が15キロほど減っていて、2週間ほど車椅子生活を送りました。当時の先生から聞いた「糖尿病の治療は、食事、運動、インスリン療法が基本です」という教えを守り、階段の上り下りを日課にしたところ、そのおかげで容態が安定。仕事に就いてからも散歩を中心に、マラソン、スキー、テニスやゴルフにも励みました。現在、毎日の朝食後に1時間の散歩を心掛けていますが、朝食前の血糖値が高い場合には、散歩の時間を延ばして運動療法で調整しています。HbA1cは6.4%前後を維持しており、主治医から「よく頑張っていますね」と褒めていただくのが何よりの喜びです。
若いころは暴飲暴食をしたこともありましたが、状況を受け入れ基本の治療を継続すれば、合併症が進行することはありませんでした。継続は力なりです。

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◆杉本 裕子 様

発症は生後11ヶ月、生まれて間もなくです。主治医にとっても乳児の糖尿病は初めてで、治療も必死だったと聞いています。ここまで生きてこられたのは発見してくださった先生のおかげ、私の命の恩人です。幼いころはずっと、インスリン注射は特別なものではなく、みんなもしているものだと思っていました。糖尿病についてきちんと理解したのは、1型糖尿病の子どもを対象にしたサマーキャンプに参加した小学生の時。自分で注射ができるようになり、治療法などの知識も増えていきました。食事で体質改善をすれば、調子が良くなり、楽に生活できる実感がありますので、日々の食べ物に気を配り頑張っています。
一日1回の注射だった時は調整が大変でよく倒れていましたが、複数になった今は大丈夫。失敗から学び、その場で対応できる力をつけることが大切です。

◆辻 洋美 様

診断されたのはわずか4歳、注射器の大きさにびっくりした事は覚えていますが、その後は意識を失い意識が戻ったのは父親の話では3日後でした。学校の友達や先生は病状を理解してくれて、充実した学校生活を送りました。現在の主治医の先生は、私の声に耳を傾けてくださる特別な存在。HbA1cが13%以上から6%台まで下がったのは先生のおかげです。去年からクラシックギターを習い始め、元気なうちにバイクにも乗りたい。コントロールを続けて楽しみを見つけていきたいです。これまでの51年を振り返ると、今、こうして元気でいられるのは家族、友人、お世話になったたくさんの先生、看護師さん、栄養士さん、それ以外のたくさんの方々に助けていただいたから。特に両親がどれほど私のために尽くして愛情を注いでくれたのかを考えると、感謝の気持ちは言葉では言い表せません。そして、こんな貴重な体験が出来たことにも感謝です。今回の受賞で、何よりも皆さんに感謝の気持ちを伝えたいです。
周囲にわかってほしい場面は多々あると思いますが、「当事者にしかわからないもの」と日毎から思っていると、案外落ち込むことがないように思います。

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◆戸川 まり子 様

幼少時は健康そのものだったのに、19歳で突然発症。母は姉には心配だと話していたようですが、私には「頑張らにゃ、しょうがないたい!」と力強い口調で言ってくれたことを忘れません。23歳で看護師になった際、最初に糖尿病であること、インスリン使用のこともすべて勤務先に報告しました。28歳で結婚し、孫も生まれ、定年まで仕事もできて幸せです。朝の習慣として、血糖の動きに合わせたインスリン調節と、主人と一緒に1万歩ほど歩くことを続けています。主治医の先生からの「低血糖を起こすと認知症が早まることがあります。一緒に頑張りましょう」という言葉を胸に、これからも頑張りたいと思っています。
発症から眼底出血を含む合併症はありませんでしたし、国内外のあちこちを旅しました。
気持ちさえ病に負けなければ、どんなことも可能なのだと思います。

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◆中野 廣子 様

お腹が減って水ばかり飲む。体の異変に気づいて病院に行ったところ糖尿病だと診断され、病気を患ったことに落ち込みました。と同時に「あと5年は生きなければ」と思った日から、もう50年以上が経ちます。治療を始めたころは、注射器を毎回、熱湯で消毒していましたね。月2回の病院通いでは、食べ過ぎだとお叱りを受けたこともしばしば。食べてはいけないとわかっていても、お腹が空いてしかたなかったことを覚えています。インスリン治療とこれまで支えてくださった先生方のおかげで、長生きさせていただきました。もう老年ですが、これからも楽しく、一日一日を大切に積み重ねていきたいと思っています。
インスリンと仲良く付き合いながら、食事と運動に気をつけてきたことで、ここまで長生きすることができました。インスリンのおかげだと思っています。

◆平石 厚子 様

高校生で発病しましたが、その時すでに母も糖尿病。インスリン治療を知っていたので「自分に合う量を補えばいいんだ」と、違和感なく治療を受け入れたように思います。そこから、母と私に注射するのは父の役目に。面倒がらず毎朝行ってくれた父に感謝の思いで一杯です。高校のクラブ合宿では、友人たちが「もう注射した?」と気遣ってくれ、楽しい思い出もたくさんできました。短大卒業後の保育園勤めでも同僚に打ち明け、協力を得ました。保育士時代からの主治医は決して厳しいことはおっしゃらず、患者が病気と向き合えるよう笑みを浮かべて見守ってくださる方。とても話しやすく信頼できる唯一の先生です。
腎膿瘍、乳がん、胃がんと何度も手術を経験しましたが、医学の進歩を信じて、一日一日を大切に過ごしてきました。なんでも話せる仲間や家族を大切に。

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◆平原 智織 様

高校2年生で発症した時、不安でたまりませんでしたが「糖尿病のインスリン治療は、近眼の人が眼鏡をかけるのと同じ」と当時の先生が説明してくださり、前向きに考えられるようになりました。高校時代は友人全員が病気のことを知っていたので、低血糖になっても遠慮なく補食できましたし、大学でも信頼できる友人には話して、いろんな場面で助けてもらいました。現在の主治医とは娘を妊娠した時からのお付き合い。どんな時も私を励まし、最良の治療をしてくださいました。現在、塾の仕事に孫の世話にと、忙しく毎日を過ごせているのは主治医の先生のおかげです。言葉に言い尽くせないほど感謝しています。
一日数回の注射を面倒に感じるかもしれませんが、そのうち生活の一部になります。
インスリン注射さえあれば健康に暮らせる、それって幸せなことです。

◆星 和子 様

何の知識もなかった小学校5年生で発症、これから一生注射を打たなければならないという事実を、なかなか理解できませんでした。当時は使い捨てではなく、注射器と針を煮沸消毒して何度も使っていました。注射した跡が痛く、親が温タオルでマッサージしてくれたことをよく覚えています。ここまで、「自分だけじゃないよ」と励まし合ってきた仲間、そして私の体調を見守ってくれる主人に支えられて生きてきました。振り返れば調子にのると痛い目に合う、そんな綱渡りのような人生でしたが、落ちかけるたびに主治医の先生が命をつないでくださいました。生きているのは先生のおかげ、みんなのおかげです。
月に一度の外来はきちんと行く。それだけ守っていれば大丈夫。正しい知識を身につけて適切に対処さえできれば、何も恐れることのない病気だと思います。

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◆N.Y 様

2歳半で発症した時、当時はまだ小児患者への理解がない中、「どうか検査して下さい」と病院で土下座してくれた両親、それに応えてくださった先生に感謝しています。職場で知り合った夫は長距離ドライバーで、1〜2週間不在にすることも多く、低血糖が心配のようです。病気で諦めた事もあるが、色々な気づきもありました。朝から起きる事ができなかった日は「お昼になったけれど、起きる事ができて嬉しい」。一日の終わりは「無事に過ごせてよかった」と命のありがたさを実感します。10年ほど前からタロットの勉強をしていて、この先いつか人の悩みに寄り添える仕事をしたいと思っています。
主治医の先生から「普通になんでも食べて良いですよ」と助言いただいて楽になりました。
食べたい時は調整して打てばいいだけ、と思えば心が軽くなります。

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