リリー インスリン50年賞

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リリー インスリン50年賞

日本イーライリリーは、インスリン治療を50年以上継続されている糖尿病とともに歩む人の長年の努力を称えるとともに、ほかの糖尿病とともに歩む人にとって前向きに取り組む目標となることを願い、「リリー インスリン50年賞」の表彰を2003年に始めました。これまでに240名が受賞されています。受賞者の皆さんにはご本人のお名前を刻印したトロフィーをお贈りしています。

第21回(2023年) 受賞者のご紹介

本年は、21名の方が受賞されました。
そのうち、情報公開のご了承をいただいた受賞者12名をご応募いただいた順にご紹介します。
※内容は個人としての見解です。

◆中山 哲夫 様

19歳の時に1型糖尿病と診断され、ショックでした。当時はインスリンを1日1回注射しており、低血糖がよく出ました。食事もあまり食べられずに大変でした。しかし発症からもう56年。現在は糖尿病の方が大変多いですし、私も今では糖尿病との付き合い方に慣れてきました。

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50 insulin award 2023 nakayama

◆Y.N 様

私が糖尿病になったのは、16歳の時でした。一生治らない病気で、毎日インスリン注射をして生きていかなければならないと知り、本当にショックでした。当時の私は、この病気の存在すら知りませんでした。「どうして私が?どうして私だけが?」と思いながらも、この現実から逃げることはできませんでした。ガラス管の注射器を使って、初めて自分の太股に針を刺した時の痛みと恐怖感は、今でも覚えています。この50年間で、一番大きな出来事は出産でした。無理だと諦めていましたが、心から信頼できる先生方のおかげで無事乗り越えることができ、今では孫もいます。これまで決して楽な道のりではありませんでしたが、いつも先生方が支え、励ましてくださったので、今日まで頑張ることができました。信頼と感謝の気持ちでいっぱいです。そして、100年も前からインスリンがあったことに感謝します。ありがとう、インスリン!!

◆吉田 優子 様

10歳の頃、確か7~10日ほどの高血糖昏睡から目覚めた後、ドクターから病名を告げられ、「この病気は食事制限が一生あり、仕事も結婚も子供も産めない」と言われた記憶があります。重く息苦しく、闇に独り取り残されたような思いが長く続きました。好き嫌いが多かった私は、食べたいものを食べたい時に好きなだけ食べられないことや、身体の怠さも辛かったです。一方で、医学の進歩が励みになりました。また辛いからこそ、「生きる」ということと真剣に向き合う人生を生きてくることもできました。一番心に残っていることは、主治医の先生との出逢いによって、失明寸前だった私が、二人の娘と出逢えたことです。多くのドクターや看護師、姉妹、両親のおかげでここまで生きてこられたこと、母親として生きていること、ご縁のあった方々に感謝しています。

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50 insulin award 2023 yoshida

◆粂川 貴子 様

発症当時、6歳でも厳しい食事制限、インスリン注射、運動を毎日余儀なくされ、空腹は氷水で満たしました。心を鬼にして厳格に守らせねばならない母の思いを感じながらも、我慢するしかない私の心は張り裂けそうでした。両親は「20歳まで生きられない」と告げられていたそうで、母は「この子を死なせてなるものか!」と心に誓ったとのこと。私も「あの子は病気だからできない」と言われたくなかったので、何事においても一生懸命取り組み、注射は痛くても泣きませんでした。高校生の頃、発病から高校までの生活について英語弁論大会で発表し、審査員特別賞を頂戴した時は感激しました。血糖管理がうまくいかず将来への不安に阻まれていましたが、信頼するドクターからの「病気はもういいんじゃない?楽しめよ!」の一言で、心が少しずつ解放されていきました。微力ながらも苦しむ方々のお役に立てることを模索しつつ、時には慶びも実感しながら生き抜こうと思います。

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50 insulin award 2023 kumekawa

◆菅原 博美 様

発症したのは9歳でまだ小学生だったので、1型糖尿病と診断されてもどんな病気かわからず不安な心境でした。50年前のインスリン注射器はガラス製で、毎日煮沸消毒して使用していました。針も使い回しだったので、だんだん針先が丸くなってきて、注射をするのが苦痛でした。その後一体型の注射器になったことで、外出や外泊が容易になったことは、嬉しいことと記憶しています。

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50 insulin award 2023 sugahara

◆烏田 良子 様

12歳で発症した時は、高血糖昏睡から覚醒後、「治療をすれば身体の苦しい状態は回避できるんだ、生きるためにはインスリンが必要なんだ、必要なことはやりましょう」と、自身の状況を深く考えることもなく、すんなり受け入れたように記憶しています。「子供は産みましょう」と言ってくれるドクターに出会うことができ、二人の子供に恵まれました。必死に子育てを頑張り、二人とも迷うことなく独立しました。子供達の足かせにならなかったことが私の自慢であり、励みとなりました。発症以来続く1型糖尿病の友人、知人との変わらない関係の中でも、教わることが多いです。

◆藤島 洋一 様

16歳で受診した時は血糖値が高くほぼ昏睡状態であったため、気付いた時、まず自分の命が救われたことに感謝しました。若年性糖尿病と診断され、当時は例が少なく、将来に不安を持ちました。太い注射針で今後何回も注射を打たなければならないのかと、ため息をついたことを思い出します。進学や就職等人生の節目を無事迎えることを目標に良好な血糖管理に努めてきました。発症後30年を経過した頃、1型糖尿病関連のセミナー等に参加し、1型糖尿病には強化療法が主流だということを知って専門医を受診、血糖がより安定しました。50年賞の存在を知ったのもその頃で、受賞を目指して節制を続けました。医療技術が発達し、従来とは比較にならないほどの恩恵を我々は受けていると思います。前向きに積極的に治療を続けて行けば普通の方々と変わらない生活が送れることを確信するとともに、多くの医療関係者の皆様や、当初食生活を支えてくれた母、そして40年近く私を支えてくれた妻に感謝いたします。

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50 insulin award 2023 fujishima

◆相澤 学 様

発症は17歳頃ですが、中学生から成長期貧血で造血剤を服用し続けており、高校生の夏休みに入院して輸血を受けてその半年後の冬に1型糖尿病を発症したので、輸血が原因ではないかと勘違いしたこともありました。色々な病院でたくさんの先生、看護師さん、同じ病気を持つ仲間と知り合えて、教えられたり、励まされたりして、50年生きて来ることができました。感謝です!また、30歳の時に1型糖尿病のヤングの会に参加して、色々と話をしていただいたことも、生活をしていく上での支えとなりました。

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50 insulin award 2023 aizawa

◆T.S 様

28歳の発症当初、近親者には1型糖尿病の人がいなかったので、びっくりしました。夫の転勤で色々な地で暮らし、たくさんの先生方のお世話になりました。こんなに長生きできるとは思っていませんでした。

◆Y.K 様

1型糖尿病で悩み、大変な思いをされている同じ仲間の方々へ、自分ひとりの力に頼らずに、友人や家族、周りにいる人にも時には甘え、頼りながら前向きに過ごしてください。血糖値をまめに測っていれば、何とかなります!インスリン注射は大変ですが、よく笑い、よく食べ、よく寝て、お互い一緒に頑張りましょう!

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50 insulin award 2023 yk

◆優佳 様

1型糖尿病と診断された当時はまだ7歳と幼かったため、何も感じなかったように思います。この50年間を歩んできて、良い意味で印象的だったことは、「100%じゃなく、120%この病気は治らない」と言われたことと、「人は病気と闘うと負けるから、病気と友達になりなさい」と言われたことです。インスリン歴100年を目指してがんばります。

◆K.N 様

発症したのは3歳で覚えていませんが、それを理由に小学校の教師だった母は仕事を辞めました。「両親は病気持ちの弟を甘やかし過ぎる」と小学校の作文に書いた姉が寝ている枕元で、父は「なんでお前はわかってくれないのか」とおいおい泣いたそうです。思春期の頃までは、自分の境遇を呪うこともありました。ただ、家族や主治医の先生方、スタッフの皆さんの支援を受けながら人生を積み重ねるうちに、糖尿病であるという事実は、いつしか私の日々の暮らしの中であまり大きい意味を持たなくなりました。皆それぞれに色々な荷物を背負っていることがわかったからでしょう。今では、私も家庭を持ち、2児の父です。子供たちは、「糖尿病について新しい知見が発表されたらしいよ」、「アップルウォッチに血糖センサーがつくらしいよ」などと、糖尿病の父を持つ人生を抵抗なく受け入れているようです。糖尿病とともに生きる人生も、決して悪くはなかったな、と感じています。

インスリンとイーライリリー・アンド・カンパニー

リリーは、世界で初めてインスリンを製剤化して以来、糖尿病とともに生きる人のより豊かな人生のため、様々な糖尿病治療薬の研究、開発、製造、販売を続けてきた、糖尿病領域におけるリーディングカンパニーです。

糖尿病の歴史は長く古代エジプトまで遡りますが、インスリンは今から約100年前、1921年にトロント大学のフレデリック・バンティングとチャールズ・ベストによって発見され、1922年に世界で初めて糖尿病のある人に投与されました。
この画期的な薬を世界中の糖尿病とともに生きる人たちへ届けるべく、リリーはたゆまぬ努力によって高濃度インスリン溶液製剤の大量生産を実現し、1923年に世界初のインスリン製剤を一般発売しました。

その後、インスリンは医療現場に急速に広まり、多くの糖尿病のある人の命を救うとともに、ヒトインスリン製剤やインスリンアナログ製剤へ進化しながら現在も糖尿病治療の進歩に大きく貢献しています。

50 insulin award 2023