リリー インスリン50年賞

リリーインスリン50年賞のトロフィー

リリー インスリン50年賞

インスリン治療を50年以上継続されている糖尿病と共に歩む方々の長年の努力を称えるとともに、糖尿病と共に歩む多くの方々への励ましになればという思いで「リリー インスリン50年賞」を2003年からお贈りしています。 2020年までに計184名が同賞を受賞されています。

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◆伊藤 三恵 様

小学3年生で発症した時、製薬会社に勤務していた父から「目が悪い人が眼鏡をかけるのと同じ、注射をすれば健康な人と同じだから心配するな」と言われたことを覚えています。社会生活を送る中で心がけてきたのは、周囲に1型糖尿病であると伝えること、病気をできない理由にしないこと。
2010年秋にポンプ導入、2011年夏に突然の眼底出血、8キロのダイエット成功。2002年にコーチングに出会い、今も学びを続けています。ドクターを含め多くの方々に見守られ、迎えることができたインスリン50年賞。これを良い機会に、自分と家族を支えてくださった皆さんと喜びを分かち、感謝を伝えたいと思います。

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◆奥井 友弘 様

23歳のころ、一晩でコーラを何本も飲むようになり多尿で体重が激減。それが糖尿病の影響によるものだと知り、大きなショックを受けました。同僚に病気のことを理解してもらうのは簡単ではありませんでしたが、まず心掛けたのは自分自身の心がオープンであること。そうすることで気持ちが楽になり、仕事と治療に専念できました。
かれこれ40数年あたたかい言葉をくださる主治医の先生や、規則正しい生活に導いてくれる妻、人との出会いが大きな励みとなりました。インスリン治療を必要とする方に「仲間はたくさんいます。くじけることなく前向きに、人生を楽しんでください」とお伝えしたいです。

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◆亀山 勝子 様

糖尿病に気づいたのは25歳。妊娠検査で尿糖が検出され、10カ月で胎児を亡くしました。26歳の妊娠では「4カ月以内に中絶しなければ、母子ともに命はない」と告げられましたが、諦められず。入院した病院で出会った先生の大きなお力添えがあり、無事に男児を出産しました。糖尿病患者は子どもを持てないと言われた時代、出産は人生の大きな転機になったと思います。
病気を知った当初は絶望で未来が見えませんでしたが、出産を経験して前向きになれました。そこから何があっても治療と血糖コントロールを最優先。目の前の課題を一つずつ精一杯やるうち、いつの間にかもう50年、今はそう思えます。

◆髙佐 幹雄 様

15歳の冬にひどく喉が渇き、意識が朦朧となり入院。血糖値は700mg / dl以上もあったそうです。高校時代は、登校前に病院で注射をしてもらって治療を続けました。卒業後、地元の役場で充実した日々を送りましたが、28歳で硝子体出血を起こして入院。病気のことを、職場でもっとオープンにしておくべきだったと今は思います。
これまで内科、循環器科、眼科、心臓血管外科、泌尿器科、透析室でお世話になった先生とスタッフの方々には感謝しかありません。今の主治医も心のあたたかい先生です。残念ながら、感染性心内膜炎で現在入院中ですが、50年賞まで支えてくれた妻のためにも一日も早く元気になりたいです。

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◆K.T 様

発症したのは小学生の時。水をよく飲み、夜中に何度もトイレのため起きなければならなくなりました。一年間で体重が激減したので東京の病院に入院することに。退院してからは母が毎日インスリン注射をしてくれました。ほどなく、サマーキャンプに参加して「具合が悪い時は我慢しなくていいこと」、「どんなことがあってもインスリン注射をやめてはいけないこと」を学びました。
出産時に大変お世話になった先生、地元の病院で一番長く診ていただいた先生など、これまで何人もの素晴らしい先生と出会い、相談を重ねながら治療を続けてきました。信頼する先生のお顔を見るだけで、いつも安心した気分になれました。

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◆徳久 郁乃 様

1歳9カ月で発症した当時、注射器はガラス製で煮沸消毒が必要でした。この50年で、使い捨てになり、針の細いペン型やポンプになり、注射のストレスは格段に減りました。また今があるのは、心から信頼できる先生との出会いがあってこそ。コントロールについて問いかけ、知識をいただき、考えながら実践し、結果を報告する。その継続の日々が「糖尿病は特別だけど、特別ではない。コントロールさえできれば、なんだってできる」というやる気につながりました。もし神様から、人生を好きにやり直すことができると言われても、私は迷うことなく、自分がこれまで歩んだ1型糖尿病と共に生きた日々を選ぶと思います。

◆根岸 良夫 様

30歳のころ、会社で喉がひどく渇いて牛乳やサイダーをガブガブ飲み、「おかしいな」と異変を感じました。大きな病院で糖尿病の診断を受けて入院した当初、「これから毎日、インスリン注射をし続けなければならないのか」と大きなショックを受けました。
退院後、何度か低血糖で運ばれたこともありましたが、会社勤務を継続。教育入院で学習を重ね、主治医の先生から日々の生活に関わる重要なポイントを伺いながら、糖尿病についての知識を深めていきました。
これまでインスリンとともに生きる者として、決められたことをきちんと実行したおかげで今年80代に。こんなにも長生きできるとは思いませんでした。

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◆山岡 壽子 様 

20歳の時に高血糖で意識をなくし、初めて病院に運ばれました。50日ほどで退院しましたが、今度は低血糖で再び入院することに。二度目の退院後からインスリンとの生活が始まりました。「それまで健康でいたことが嘘のよう。これからインスリンと長い付き合いになるなぁ」と覚悟しました。
そのころは使い捨ての注射ではなかった時代。毎朝、煮沸消毒をしなければならないのが大変でしたが、公務員としてまわりの方々に支えていただきながら楽しく働きました。振り返ってみると、優しい主人と結婚し、子どもを授かり、子育てをできたことが、治療を続ける上でなによりの励みだったと思います。

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◆山本 貞子 様

若いころに大病をして、体力回復のために「食べろ、食べろ」と周囲に促されてきたのに、30代で糖尿病を発症してからはそれが逆に。食べさせたがる夫を納得させるのが大変でした。64歳の時、仕事中に低血糖で倒れて階段から落下、2ヶ月ほど意識不明の重体に。言葉が出づらい、右手が使いづらいなど、外傷性クモ膜下出血の後遺症で気力を失った時期もありますが、交代でそばにいてリハビリを見守ってくれた娘ふたりの献身があり、今はなんとか家事もこなせています。毎月の検診で「管理がいいですね」と褒めてくださる優しい主治医の先生と、家族のおかげで今日があります。心からの感謝を伝えたいです。

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◆R.Y 様

発症したのは3歳になる前でした。あまりに幼かったので当時のことは覚えていません。朝・昼・晩、医師の指示通りのインスリン量を注射していましたが、1986年までは自分で血糖測定することができず、コントロールが非常にむずかしかったです。一年に6回入院したこともありました。働き始めてしばらくして自動注入ポンプ、自己血糖測定器の使用を開始。医療の進歩によって改善されていく治療法が、大きな励みとなりました。
また支えてくださる多くの人たちの思いや力があって、この50年賞があると感謝しています。これからも日々のケアを怠らず、75年、100年をめざしたいと思っています。

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