スティグマの解消を目指す糖尿病のアドボカシー活動

根拠のない思い込みやことばのイメージにとらわれず、
糖尿病のある人とない人が共に暮らせる社会の実現をめざして

スティグマということばをご存知でしょうか。不正確な知識や情報に基づいた負の烙印「スティグマ」を押され、社会的不利益を被っている問題は多くありますが、“糖尿病”もまたそのひとつであると言われています。このスティグマの解消を目指した取り組みについて糖尿病・成長ホルモン事業本部長メアリー・トーマスさんが日本糖尿病協会理事長の清野裕先生にお話を伺います。

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公益社団法人日本糖尿病協会HPより転載
https://www.nittokyo.or.jp/modules/about/index.php?content_id=46

治療への支障を解消したいという一心から始まった

―清野先生は世界を代表する糖尿病治療の研究者・医師、また日本糖尿病協会の理事長として国内外で活躍しておられますが、糖尿病を専門にされたのはなぜですか。

私が医師になった当時、専門医制度はなく「専門分野を持とう」と言われ始めていました。同時に急激に糖尿病のある人が増え、100万人に達するころで、大学でインスリン測定の研究を手伝っていた私は社会的に関心が高まっていた糖尿病を専門に医療に携わることを志しました。
当時はまだ知識や関心も薄く、兵庫県立尼崎病院塚口分院(現・兵庫県立尼崎医療センター)で外来を開いたものの、医師2年目の私には何も分かりません。そこで看護師さんや管理栄養士さんと一緒に、今でいう「チーム医療」を手探りで始めたことを覚えています。

―その当時から糖尿病に対する大きな誤解や偏見「スティグマ」があったのでしょうか。

糖尿病は1型と2型に分類されますが、特に1型糖尿病は遺伝病という誤った認識を持たれた上、注射器を使い自分でインスリンを打つことから周りから奇異の目を向けられた方もいました。家族が糖尿病になった場合、感染症でもないのに他人の目を憚って隠し、中には治療を受けさせてもらえず亡くなるケースもあったほどです。適切な治療さえ受ければ普通に生活できるにもかかわらずです。その後医療は格段に進歩し、適切な治療により生命予後は大きく改善しました。いまでは1型糖尿病についての理解は着実に進んでいるように思えます。一方で2型糖尿病は未だに“自己の生活習慣が悪いため”といったような見方や、“食事や仕事を他の人と同じようにはできないのでは”といった誤解が根強く存在しています。

―そのようなスティグマを解消しようという思いはどのようなきっかけで生まれたのでしょうか。

糖尿病治療の道を志したときからこれまでに出会った多くの患者さんやそのご家族と話をしているなかで、当時は医師として「誤解をなくして治療への支障を少しでも解消してあげたい」という一心でした。後に、治療だけでなく社会全体の意識を変えることが必要だと考え、日本糖尿病協会の活動を広げてきました。

社会全体の意識を変えるのが日本におけるアドボカシー活動

―清野先生は糖尿病協会の活動に長年携わってこられたのですね。

県立病院外来初日に受診された患者さんの「辛い思いや経験を患者同士で共有したい」ということばをきっかけに、周りの病院に声をかけて患者の会を主体にして糖尿病協会を立ち上げ、その後、県内3つの協会を統合しました。後に医療者と患者さんの集まりは「友の会」と改称し、現在は「公益社団法人 日本糖尿病協会」の下部組織として各都道府県に約1600あります。日本糖尿病協会は糖尿病のある人や医療従事者、市民、企業、行政も参加し、アドボカシー活動をはじめ正しい知識の普及啓発活動や治療支援、国際交流などに取り組んでいます。私は当初の「患者さんとの約束」があり、研究、教育、臨床の傍ら携わり、気が付けば50年が過ぎていました。

―日本糖尿病協会と日本糖尿病学会が共に取り組む「アドボカシー活動」とは。

2006年から13年まで、私は国際糖尿病連合(※)の理事を務め、欧米でのアドボカシー活動を実際に目にしました。世界各国の取り組み方は様々で、例えばアメリカではインスリン治療を誰もが受けやすくする医療格差是正や研究が重要なアドボカシー活動です。日本におけるアドボカシー活動は患者さんが受けている不利益を解消することが目的です。講演会を開いたり、医師が患者さんの話を親切に聞いてあげたりするだけではアドボカシー活動にはなりません。生命保険にちゃんと加入できて、就職や昇進で不利益を被ることなく、結婚で差別を受けることもない、そんな社会を実現しなくては意味がないのです。治療法の圧倒的な進歩により社会的不利益を被る理由もなくなりつつあるにもかかわらず、残念ながら昭和40年頃に根付いた糖尿病に対する思い込みにとらわれて差別意識を持っている人が未だにいるのが現実です。社会全体の意識を変えていくのですから日本のアドボカシー活動は非常に難しい。糖尿病のある人も、糖尿病のない人と同じような社会生活が送れるようにしてあげたいというのが私の考えです。

※世界約170の国と地域にある230を超える糖尿病関連団体の統括組織International Diabetes Federation(IDF)

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ことばが持つ負のイメージをなくそう

―その方法の一つとして「ことばの見直し」を進めておられるのですね。

「糖尿」ということばは尿糖しか検査方法がなかったころのオランダ語を語源として、血糖測定が簡便に行われるようになった今に至っているものです。アメリカで英語に直訳したら驚かれ、「なんということを言うのだ!」と怒られてしまいます。糖尿病のある人を対象にしたアンケートでも多くが不快に感じ、1型糖尿病のある若い人の中には「隠しておきたい」と思っている人もいるという結果が出ています。名称を変えればすむものではないという意見もあります。もちろん病気そのものは変わりませんが、決して「尿」に「糖」が出る病気ではないのです。また「糖尿病」とひとくくりにされていますが、1型はインスリンを分泌できなくなり、2型は体質によるところも大きいのです。ところが「自己管理ができず食べ過ぎる人」などという誤解がありスティグマが生じています。一番大切にするべきことは、ことばから生じる不利益と当事者の不快感をなくしてあげることです。

―その他、スティグマを生じやすいことばについて教えていただけますか。

「病」とひとくくりにされているのはほんの一部を除いて「糖尿病」だけです。1型・2型それぞれの患者さんの間でもスティグマが生じるケースもあり、分けるべきではないかという意見もあります。また、糖尿病に限らずですが、「患者」ということばは医療界では必要でも、本人に対して「治療してあげる」という医療者からの上から目線の呼び方です。その他にも「療養指導」「血糖コントロール」など、ことばについては医療従事者自身が襟を正して改善に努め、世間に理解を求めていくことが大事だと思っています。

■スティグマを生じやすい糖尿病医療用語と代替案

避けるべきことば

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理由

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適切なことば(案)

糖尿

:

「糖尿」は侮蔑的なニュアンスを含む。

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糖尿病

糖尿病患者

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「糖尿病であること」がその人の自我の全てであるかのようにラベリングし、人としてのアイデンティティがあることを無視している。

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糖尿病のある人

療養

:

「療養」:病気をなおすため、治療し、養生すること(広辞苑);病気治療のため、手当てをし、体を休めること(岩波国語辞典);糖尿病は適切に治療すれば、糖尿病のない人と変わらない生活ができる疾患であり、体を休めて健康の回復を図るという意味を持つ療養の概念は、糖尿病医療にそぐわない。

:

治療、医療など

療養指導

:

「療養」「指導」とも不適切である。
糖尿病がある人と医療従事者が一緒になって目標を設定し、医療従事者は目標達成のための計画をともに考える。各人の個別性に配慮し、目標を達成するための継続的なコラボレーションを重視すべき。

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支援、サポート、教育など

血糖コントロール

:

「コントロール」は他者や対象を制圧し支配下に置くことを指す。一般社会でも他者や対象を「コントロールする」という表現は使わない。血糖値はストレスや身体活動など多様な要因で変動することが明らかであるのに、血糖値がコントロールできない場合、糖尿病がある人をコントロールするような治療は不適切である。

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血糖管理、マネジメント

※なお、用語見直しの取り組みの対象範囲は、糖尿病医療におけるコミュニケーションの場とし、国が定める法律や診療報酬等、医療者間での会話、学術論文、固有名詞などの領域は対象としません。
※引用元:公益社団法人日本糖尿病協会 HP
https://www.nittokyo.or.jp/uploads/files/wordreplacement_advocacy.pdf

我慢しない食事で健康長寿

―家族や身近な人が糖尿病になったらどんな声をかけてあげたらいいのでしょうか。

決して「大変なことになった」などと思わず、むしろ逆の発想で「長い人生のうち何か1つや2つ病気になることはあるけれど、糖尿病があることで寧ろこれから色々なことに気を付けるようになって健康な生活が送れるようになるよ」と声をかけてあげてください。

―栄養学もご専門の清野先生から食事についてのアドバイスを頂けますか。

我慢して質素な食事をする必要などありません。少し量を減らすぶん単価の高いものを食べれば、それまでより贅沢な食事ができます。65歳以上の方は、筋肉・筋力維持のために野菜よりたんぱく質の確保が重要です。食べる順序は、まず血糖を下げるホルモンの分泌を促すたんぱく質が豊富な肉や魚、次に調理した野菜、最後に炭水化物を食べると血糖の上昇が抑えられます。また食後に軽い運動をすることは健康寿命を延ばすためにも効果的です。
糖尿病があるからといって血糖管理のために生きるわけではありません。糖尿病の治療は人生の目標を持って生きるための一つの手段にすぎないのです。

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清野 裕 先生
公益社団法人日本糖尿病協会 理事長

1967年京都大学医学部卒業。
兵庫県立尼崎病院、米国ワシントン大学客員研究員などを経て、1996年京都大学大学院医学研究科 糖尿病・栄養内科学 教授。
2004年関西電力病院 院長、京都大学医学部 名誉教授、公益社団法人日本糖尿病協会 理事長に就任。
2016年より現職 関西電力病院 総長。